ヒューイ日誌

考えたことを発信するのが目的ですが、具体的な形は見えていないので、書きながら作って行きます。

なぜタイでは選挙が行われないのか ~クーデターから4年

平穏な状態が続いているようにみえるタイ。
しかし政治的には「異常」な状態が続いています。
4年前のクーデター以降、今も軍政下(全部軍人が仕切ってます)にあり、
総選挙は度々延期され、国民主権なるものは皆無の状態が続いているのです。

そんな軍政が始まる契機となったクーデターから4年目に当たる5月22日、
首都バンコクでは民主化を求める抗議集会が行われました。

ちなみに今のタイでは「5人以上の政治集会は禁止」で、破ると軍事裁判所で裁かれます。いわゆる戒厳令状態が続いています。

総選挙の年内実施要求=クーデター4年で抗議集会-タイ

 【バンコク時事】タイで2014年5月に起きたクーデターで軍が実権を掌握してから4年となる22日、バンコクのタマサート大学で、民政移管に向けた総選挙の年内実施を求める抗議集会が開かれた。参加者は首相府までデモ行進しようとしたが、門を出たところで道路を封鎖した警察に阻止された。
 軍政のプラユット暫定首相は総選挙を繰り返し延期してきた。今年2月には来年2月までに行う方針を示したが、再び先送りされるとの見方が強く、活動家らは年内実施を強く要求。6月までに回答がなければ、抗議行動を強化すると警告している。
 集会には約350人が参加。警察は約3000人の警官を動員して警戒に当たった。集会参加者は「民主主義を回復せよ」「独裁者がタイを貧しくした」と書かれたプラカードを掲げて気勢を上げ、一部が警官隊ともみ合いになった。

 
▼なぜ選挙が行われない?

 タイでは2001年以降、総選挙が6回行われてきました。
 けれども、いわゆる既得権を持つ軍や富裕層は、6回とも負けています。全戦全敗…まったく選挙に勝てないのです。

 常に選挙で勝ち続けてきたのは、都市部でも農村部でも高い人気を博する「タクシン派」です。2001年の総選挙で勝利して以降、地方重視の政権公約を掲げ、それを実現してきたタクシン派。大衆の圧倒的な支持を得て、度々勝利していますが、それを軍や国王を支持する王党派がクーデターなどで何度もひっくり返す。この政権打倒運動が2005年以降、繰り返し行われています。いうならば、民主的に選ばれた政権から「権力を奪い取る」戦いがずっと続いているのです。玉田京大大学院教授は、これらを「脱民主化」と述べています。

21世紀に入って民主化が急速に進んだことに反発して、2005年から脱民主化が始まった。それは、デモ隊、司法機関、軍隊の3点セットによって遂行される。国民が選挙へのこだわりを強めているため、脱民主化は容易には成就せず、3波に渡って進んできた。

玉田芳史「タイにおける脱民主化とナショナリズム」

▼民主政治は不要?

 選挙をやれば再び、地方の庶民が支持するタクシン派が勝ってしまう。だから、軍や主流派だけでなくバンコク中流層以上の人たちも「選挙なんかやりたくない」と思っています。ただ何も正当性がない政権が、今後も続く訳にはいかない。

 そうなると、国民から選ばれたという裏付けがどうしても欲しくなる。だから軍などは、選挙しても必ず「勝てる」もしくは権限を維持できる状態に「国の仕組み」を組み替えて、時期総選挙に臨みたいわけです。

 京大大学院の玉田教授は、そのために軍は憲法を変えたり、選挙制度を変えたり、上院議員の構成を変えたり(軍の任命が多数)していると指摘しています。

 次期総選挙では、それでもタクシン派が勝つのか。それとも軍政側が正当性を得て、影響力を保つ政権ができるのか。または政治的に不安定になるのか。いずれにせよ来年2月の選挙を境にタイの政治状況は大きく動くことになります。

 

玉田先生の2016年の講演はこちら。

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「早起きの技術」〜古川武士 メモランダム

 「会社に間に合う時間にあわせて起きています」といった受動的な生活ではなく、自分が主体的に「早起き」できるよう生活を見直し、さらには自分ができていなかった大切なこともしっかりやって、人生の主導権を取り戻しましょうという本。

 

▼重要なのは「寝る時間」へのフォーカス

 早起きするための様々な「技術」が紹介されているが、最も役に立った助言は「早く寝れば早く起きられる」ということ。たしかに自分は7時間くらい寝ないと翌日は終日、全体的に頭が冴えず体がダルイことが多い。この睡眠時間を確保するため、逆算して、きちんと「寝る時間」を守れるように集中しましょう、というのはもっともな助言である。

 

▼「早起き」を通じた理想生活の想像

 スケジューリングに際しては、まずは自分にとって本当に大切なこと、つまり「緊急性はないけど重要なこと」を埋めていきましょう、ということ。この時点では現実とかではなく、まずは理想だけを考える。たとえば英語学習、ジョギング、リラックスタイム、日記など振り返って満足できることに、時間を割り当てることが大事。

 その上で、現状の生活習慣を把握し、ギャップを明確にすることで理想の習慣に近づけていきましょうということ。スマホ・ネットに実は数時間も費やしていた、なんてことは以外に多いもの。また、飲み会などイレギュラーの日は往々にしてあるものだけど、これについては「3日以上連続で続けない」こと、といった対処をすればいいとのこと。

 

▼所感

 寝不足だと生産性が低下し、学ぶ意欲なども全然出ない。
 また一日を振り返って、自分の理想に近いことができていないと、罪悪感はじわじわと広がり、精神的にも悪循環に陥ってしまう。

 この本を読んで実践したいと思ったのは、7時間睡眠を取れる時間に寝ること、また自分がやりたい重要なことを優先的に行うこと、ということでした。

 

 

わかったつもり 読解力がつかない本当の原因 〜書評

 子供の頃から、なぜ僕らは同じ本や文章を読んでも「理解」に大きな差が生まれるのか?と疑問に思っていた。
 
 それを我々は「読解力の差」と簡単に片付けてしまうわけだが、「読解力」の有る無しは具体的に何が違うのかを理解できないと、読解力向上のために、どのような努力をすればよいのかはわからない。
 
 本書では、文章を読む際に「分かる」状態から「より分かる」状態に至る過程の主たる障害が「分かったつもり」にあると指摘し、この状態が先の探索活動を妨害するものであるとする。また「分かったつもり」になることで、部分を読み飛ばして誤った認識を得たり、変化の面白さ・玄妙さを味わえなくなるといった弊害が生じると説く。
 
 「わからない」状態は気持ちが悪く安定していないため、人はいち早く「わかった」という安定した状態になろうとする。そして浅い読みや誤読により「分かった」と認識し、実際は「分かったつもり」の状態に置かれてしまう。この状態から抜け出すのは、「矛盾や疑問」といった理解へのモチベーションが無くなっているため、簡単ではない。
 
 我々が深い分析、深い読みを行うためには、自分がこの「分かったつもり」の状態にあることを認識し、何度も自分に問い直しながら、自分で打開していく強い意志が必要である。それはソクラテスが説いた「無知の知」の姿勢とも同じであろう。

「白米は体に悪い」勇気ある分析発表〜津川友介氏の書評

 健康のために、何を食べればいいのか?
 書店やインターネット上には「健康のためには○○を食べるべき」「○○は健康を損ねるので食べてはいけない」といった、健康のための「食」に関する情報が溢れている。しかし、これらの情報は、発信者の主観に基づくものや、損得勘定で動いている人の思惑によるものなど、科学的根拠に基づかないものが多い。
 
 その中で、最近出版された「世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事」(津川友介著)は、数多くの信頼できる研究によってわかった本当に健康に良い(=脳卒中心筋梗塞、がんなどのリスクを下げる)食品とは何かを紹介するという、話題の本である。
 
 
 この本のすごいところは、一切忖度なく科学的根拠に基づいて、いくつかの食品を、正直に「体に悪い」と言い切ったところである。例えば日本人の主食である白米は、血糖値を上げ、脳卒中心筋梗塞などの動脈硬化による病気が起こるリスクを上げる可能性があるとして、「体に悪い」と言い切っている。また「食べ過ぎなければ大丈夫なのでは」といった反論に対しても、「日本人が大好きな白米は少量でも体に悪いと言ってよいだろう」とエビデンスを元に、容赦無く切り捨てる。
 
 著者が「体に悪い」と言い切っている白米は、実は日本政府が「健康のために」国民に食べることを推奨している。農水省厚労省が公表している「食事バランスガイド」では、1日あたり、ごはん(中盛り)4杯程度を食べるよう勧めているのである。
 
 科学的には「体に悪い」とされる白米が、政策レベルでは「健康のために」食べるべきと推奨される。なぜこういうことが起きるのか。こうした情報は利害関係者(農家や政治家)にとっては不都合な事実でしかなく、政策に反映させるメリットは全くない。そしてマイナスの情報は政策に反映されないどころか、歪められ、最終的には「体に悪い」が「体にいい」と真逆の内容になってしまうということが起きてしまう。
 
 本の中では、本当に健康に良いと考えられている食品として①魚、②野菜、③茶色い炭水化物、④オリーブオイル、⑤ナッツ類を上げている。そして健康に悪いと考えられているものとして、①赤い肉、②白い炭水化物、③バターなど、と明示している。
 
 健康のために我々は何を食べればいいのか、という問題は、「健康になりたい」と思う人々にとっては切実である。この問題に限らず、日本政府も国民目線(消費者目線)で、科学的根拠に基づいた政策を採用すべきと思うが、産業寄りの農水省などはとてもではないが採用できないであろう。こうした現状なので、我々は科学的根拠に基づいた本書などを頼りに、自分で正確な情報を取りに行き、日々選択していく以外に道はない。